いつかきっと...

高校に入学して間もなく不登校になった息子
過敏性の症状が更に酷くなり、学校への違和感が増していき、とうとう単位を落とした
頭でっかちで口では大層なことを言うならば、世に出てごらん!
働く、ってことを知ってもらうべく、12月からアルバイトをすることになりました
”働くこと”と”カウンセリング”の様子をハハの備忘録として残します

謹賀新年

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします



息子は、大晦日、元旦、2日と、三連休でした。
私は、大晦日と2日が休みで、3日からずっと仕事です。( ̄_ ̄ i)



10日に、今年初めてのカウンセリングがあります。
悩みを相談、と言うより、経過報告、ってことです。


年末、またもや息子にツラッと嘘を付かれました。
直ぐばれるのに、って思う嘘と、
私も自分のことにいっぱいになっていて気付かず信じていたのに、
フッと「えっ?」と気付く嘘など、今までにも色々ありました。


今、カウンセリングは親子で一緒に受けます。
普段、息子からは聞けないようなことも先生は淡々と聞いてくれるので、
それで、思ってることや考えてることを知ったりしていたのですが、
最近、また一緒の診療に疑問符が付くようになりました。


一緒に病院へ行く、ってことに、直接的な意味は無いかもしれないけれど、
息子と2人で行動することに意義があると、自分を慰めていました。


この辺の所を、次回は個人的に場を持ってもらって聞きたいと思ってます。
高っかい交通費掛けて、意味も、意義も無いんじゃ話しになりません。
親の居る前では、所詮、触れられたくない部分はダンマリですし、
適当にいいように話している節が多々見受けられます。
私に疑問符が付くようじゃ、カウンセリングの意味が半減です。


よいお年を...

   


ここへ訪れ、拙い記事を読んで下さった方、
ありがとうございました。
一年はとても短く感じたのに、とても重い一年でもありました。
辛くて、キツくて、身内に相談できる人もいなくて、
共感者を得たい想いで立ち上げたブログでした。
「うちも同じだよ」と声を掛けて下さったことに、本当に感謝しています。
気持ちや悩みを共有できるって、本当に心強くなりますね。


色々あったけど、今はね、上のイラストのにゃんこの心境でいこうと
そんな風に思えるようになりました。


来年は、今よりは悪くならない!
そう思って過ごしていきたいと思います。
娘が中3になり、高校受験なんです。
お兄と同じ高校を希望しているんですよね。(^=^;







以下、備忘録の為に書きます。
長くなるので興味のある方だけで。(^_-)



正月に、高校合格祈願に行き、春には無事に希望校へ合格。
中学までは、起立性、過敏性、遅刻、内申点、と色々あったけど、
これで気持ちを切り替えて楽しい学生生活を送っていける、
と、親子共々感じていた春。


入学して一週間もした頃から、
中学を卒業して治まっていた過敏性がまた始まり出す。
毎日、毎日、トイレ通いが2時間、3時間。
登校するのは5時間目からとか、部活だけとか。


私の仕事は、当時代わりが居なく早出勤務が多くなり、
朝、起きるのを確認したり、子供を見送ったり、ができない。
声掛けも、自分の出勤前に、感情的にならないように、と言い聞かせ
毎日、毎日、これこそが最大のストレスだった。
ちゃんと起きたのだろうか?
学校へ行ったのだろうか?
気に病む日々を送ること毎日。


帰宅すると靴がある。
あー、行ってないんだ......


最初の頃は、起立性だからとか、お腹痛いんだから仕方ないとか、
擁護する気持ちで見守っていたが、
人が仕事に出掛けた後は悠々自適にPCに向かう姿を見るようになり
それは「どこまで本当なのっ!?」と怒りに変わった自分がいた。


とにかく、休む日が多く、時々5時間目以降に登校したり。
午前に行われる授業にはほぼ出席していない。
過敏性の診断書を貰い、学校側に猶予の申請をしても、当然余裕は無い。
焦るのは親で、ここで単位を落とすのは「もったいない」と思う。
高校受験の為に塾にまで通っていたわけだし、
提出物を一切出さない彼の拘りで内申点が合格ラインに届いていないにも関わらず、
当日の学力点があるからと受験した高校に入ったのだ。
一緒に受験した仲の良い友達は残念な結果だった。
ってことは、誰かの合格により、枠から出てしまう人も居るのだ。


この当時、多分、お互いに一番辛かったと思う。
中学の時のように、休んでも、遅刻しても卒業できるシステムでは無いからだ。


互いに爆発し、普段は堪える息子も言い放ち物に当たることもあった。
帰宅すれば制服があり、姿だけが無くて”嫌な予感”を感じたこともあり、
担任に相談した夜、捜索願を出そうかと真剣に思ったこともあった。


学校のスクールカウンセラーに「スマホ持たせて上げて」と言われたのは5月。
PCのLINEを使っていた息子は、特に要らないと言うから持たせていなかったが、
コミュツールだと言うのは重々承知していたし、友達からの刺激も大事だと思い、
誕生日が近かったのでそれをプレゼントにした。


おかげで、事情を知っている合唱部の顧問が、仲間達にLINEを送らせたりして、
なんとか部活の縁だけでも切れないようにしてくれていた。
もぅ、ありがたいの一言。


しかしそれも、前記事で書いたが、全道大会で”金賞”取って満足したのか
それ以降は部活にすら出なくなってしまった。


高校の合格もそう。
それまで、学校には遅刻ばかりだったけど塾には通っていた息子。
多分、性に合っていたのだと思う。
でもそれも、半ば博打のような受験に見事合格。
その達成感で満足してしまったのかもしれない。


彼は自分の気持ちを語らない。
きちんと説明できないものはしない、という、カウンセラー曰く完璧主義者。
でも、親としてはどんな気持ちなのか取っ掛かりが欲しかった。


結局、カウンセリングを受けに行くきっかけは、
ハハには話せないことも、どこかでガス抜き出来れば、の思いからだった。
ハハはどうしても感情論になりがちなので、そこはプロで、第三者の先生に
言いたいことがあるならば、吐き出せるといいな、と思ったのだ。



まだまだ彼の言動には謎が多い。
ハハに言わなくても、先を見据える目を持ってくれればいい。
それには、社会を、世間を、知らな過ぎる。
来年は、昼間の仕事をして欲しいと思う。
夜型に何かしらの変化を求めたいと、親なら誰もが思う基本である。


かつてのライバル校がTVに

   

昨日、見るとも無く見ていたTVに、
高校合唱部の優勝常連校であるA高校のドキュメンタリーが流れた。


まさに、息子も合唱部に所属し、全道大会の行われた道東遠征に参加したそれだ。


番組はもちろん、我が家の事情とは全く関係なく(笑)
多分、全道で一番部員数の多い合唱部を取りまとめていく”部長”の葛藤を軸に、
全道大会までの様子、全国大会へ行った様子など
色んな経験をして一回りも、二回りも大きくなっていった部員達の様子を映していた。


オンタイムには、息子は出掛けていなかったので、
帰宅してから録画を一緒に見る。
何を思うのかな~って思ったから。


息子に聞くと、高校によって部員数は当然一定ではない。
よって、30人以上と以下に、A、Bに分けられるのだそうだ。
この優勝常連校は100名以上の大所帯。
残念ながら息子の高校は30人以下だったので、一緒だったわけではないらしい。


でも、どう考えたって、人数の多いほうがハーモニーに厚みがある。
そこだけでも圧倒的に違うのに、どう審査するのか私にはわからない。(^_^;)



このA高校、学力レベルもトップクラス。
また、どの部活にも言えるけれど、
強い所には強い子供たちが憧れを抱きそこを目指してくる。
中学からハイレベルな子達が集まるのだから、どんどん強くなる。


勉強を頑張れる子は、多方面にも頑張れる子が多いのかもしれない。
遠征先でも、高3の先輩たちは休憩時間に受験勉強をしていた。
この全道大会が終わった日に、直行で塾へ行くと言う.....


すごい.....(^_^;)


  オバちゃんには、もぅできない。(^=^;



息子と合唱部の縁は、入学する前に入りたい部活があったのだが、
実際見てみたところ、3年生の女子先輩が2人しかいなかった。
サイエンスだったから、もう少し男子がいるものと思っていたのだが、
体育会系に強い学校なのもあって、男子は体育会系に流れたようだ。


それで、考えていた部活に入る気にもなれず、のところで、
初めての音楽の授業での自己紹介で、声でスカウトが。
合唱部の顧問でもある音楽の先生に
「部活が決まっていなければ合唱部に入らないか」と。
それで入ってみると、なったのには、正直驚いた。


それから、学校の授業には出ないけど、
少ない部のパート担当に責任感はあるようで、
イベントがあるからと部活だけのために登校するような日々もあり。


顧問の先生も、息子の欠席状況を担任から色々聞いていたので、
部員の子達にLINEを送らせたり、様子を伺ったり、遠征に期待したりと、
何かのきっかけには動く子だったので、引っ張り出してくれていたんです。


で、この全道大会、30人以下の部門で”金賞”取ったんですよ。
顧問も含め、”まさかの”金賞だったらしく、大喜びでしたね~。(笑)


この一体感で、少し学校に向き合えるのかと淡い期待を持ったのですが、
そこは彼の中では全く別物なんですね。


その秋の遠征を最後に、とうとうイベントすらも行かなくなりました....



話がそれてしまいましたが、息子は、全道大会までの様子は見ていたけれど、
(自分も携わっていたので)
全国大会からは席を外した。



どんなことを思いながら見ていたのかな~?
懐かしかったかな?
それとも他人事になっていたのかな?