いつかきっと...

高校に入学して間もなく不登校になった息子
過敏性の症状が更に酷くなり、学校への違和感が増していき、とうとう単位を落とした
頭でっかちで口では大層なことを言うならば、世に出てごらん!
働く、ってことを知ってもらうべく、12月からアルバイトをすることになりました
”働くこと”と”カウンセリング”の様子をハハの備忘録として残します

自論が強い子2

小学校高学年。
男子から意地悪的なちょっかいを掛けられるようになる。
歩いてる所にいきなり足を出されて転ばされるとか、
後ろからいきなりど突かれるとか、
相手はふざけて遊んでるのだろうが状況的にはとても危険。
言い返したり、やり返すと何倍にも返ってくるので
それこそが煩わしくて面倒になった息子は黙って我慢。
それをいいことにまたちょっかいを出される。


普段はひたすら耐えて我慢をしている息子だが、
それも限界が来ると半端無い怒りで強く反撃に出る。
堪りに堪っているのだから気持ちはとても理解できるが、
それこそ、原因は相手にあっても怪我をさせてしまえばこちらが悪くなる。


そんなちょっかいに、周りで見ていた女子たちから声が上がる。
直接担任に言えないけど、母親に息子を擁護する声が。
個人面談の時、「実は他のお母さんから心配の声を頂きまして」と担任。
こちらもちょうど話したいと思っていた時で、
それから何度と、担任と話すべく学校に通った。


当時、泣いて帰って来ることもあった。
聞いても「言いたくない」と頑なに言わない子だった。
気持ちが落ち着いた頃、あの時何があった?と問うても、
「思い出したくも無い」と言い、本人の口から聞くことはまず無かった。


色々ある度、担任から相手に指導が入る。
息子がそんなに嫌がっているとは思っていなかった相手は、
本当にからかい半分だったらしく、それから手を出してこなくなった。
逆に、まだやんちゃでちょっかいを出してくるヤツから
かばってくれたりする様にもなり、少し安堵もした。


小学校時代。友達との関わりに本当に色々あった。
でも、一度も「学校へ行きたくない」と言ったことは無い。
息子の様子を見つつ、逆にこちらの方から、
「たまには休んでもいいんだよ」と言ったほどだ。


この時、実は自分が思っているよりずっと、
”メンタルの強い子だ”と思ったんだよね。


自論が強い子

2016.10.13 17時頃 北の空 from 札幌

幼稚園時代から、クラスの中では大人っぽい子だった。
人気のあるおもちゃや、遊具。
横入りしてブン取る力付くの子。
大泣きして欲しいと訴える子。
そんな中、息子は話をすると『我慢』のできる子だった。
でも、”自分は悪くない”ってことには、絶対に謝らない子でもあった。


幼稚園でのお約束。
喧嘩になったらお互いに「ごめんなさい」をして仲直り。
息子は、断じてこれに従わなかった。
確かに、喧嘩の原因はお友達から発するもので、
先生も「息子クンは悪くないんです」と、よく電話がきた。
そうは言っても、もちろん、世の中の摩擦を減らす術を教えるべく、
色々諭したさ~~.....


小学校時代。
晴れ晴れと入学し、親も子も、これからの新生活に期待膨らんでいた?
ところが、一年生の時だ。
「授業が簡単過ぎて面白くない」と泣いた。(笑)


私と違って、(←ここ大事!)(^=^;
一度聞いたり、見たり、読んだことは、ほぼ覚える。
いつの学年だったか、クラスの中から『博士』とあだ名が付く。


授業中、先生がみんなに問うような場面。
みんなに答えを考えてもらいたい、っていうシーン。
しかし、そこで息子は何も考えずボロッと即答する。
それが正解ゆえに、周りからはブーイング、先生は困惑、
そんな凍り付いた教室の空気感を想像するにハハは冷や汗...(゜∀゜;)


中学年の頃はこれでトラブルも多かった。
つい出ちゃうのはわかるけど、回りの空気読むことを説いた。
上から目線の物言いも、何度と説いた。
故に、友達もなかなか作れなかった。


三年生の時の担任だった男性教諭に、
「友達が作れないのではなく、彼が友達を選んでる」と言われた。
札幌とは言え近郊の田舎の学校なこともあり、
”子供らしい子”が圧倒的に多いんだな。(笑)
決してそれは悪いことではなく、
ただ、息子の性格には合わないことが多かっただけ。
そして、息子にはこんなアドバイスをしてくれた。


「周りのヤツ、みんな子供だな~って思うよな。
そういうの、キミは見えてるよな。
だったらさ、階段一段上からじゃなく、もぅ三段上がって見てみろ。
もっと遠くまで見えて、側に見えるものは小さくなるぞ」と.....


ハハ、40代そこそこでしたが、えらい感動した。
なるほどな~って、心底感動した。
いい先生に出会えたな、って思ったんですよね。


昼夜逆転です

昨日の夕飯は、久し振りに子供たちと外食した。
習い事や、塾、部活が無かった貴重な水曜日。
三連休もハハは仕事だったので、どこにも連れて行けない我が家は、
時々近所の居酒屋へご飯を食べに行く。


当然、息子は昨日も学校へは行っていない。
前の日は、目覚まし掛けてまで遊びに行ってもね。


息子は、フツーに話すし、笑うし、冗談は言うし、
学校の話もするし、部活の話もするんだよ。
明日は何があるとか、部活は今こうだとか、
行っていない割にはなんか色々詳しい。
「あれをやらなきゃいけないんだよな」みたいなことまで言うので、
「おっ、明日は行くんか!!?」と思わせるような素振りだが、
翌朝にはまったくのテンションだだ下がりで起きてさえ来ない。
「学校へ行かなくても、普通に朝は決まった時間に起きよう!」と言うも、
まるで死んだように朝は全く起きてこない。


中学の頃、症状だけの診断ではあるが『起立性調節障害』と言われ、
気休め程度くらいの初歩的な昇圧剤を飲んでいた時期もあるが、
劇的に効果があるとか、変化する、って類では無く今は飲んでいない。
『生活リズム』の改善で順調に起きていられる時期が続いたこともあるからだ。


今、学校へ行かなくなったことにより、『過敏性腸症候群』の症状は治まっている。
見てるとあからさまで、ホント、どうしてそんなに”嫌”なのか気の毒になる。
そぅ、私にはそんな経験無いからだ。


だから、どうしてそうなっちゃってるのかわからない。
息子に聞いても、この類の話にはウンもスンも言わず口をつぐみ、ただ泣くだけ。
「どうしてこんな気持ちになるのか説明できない感じなの?」と聞いても、
ただポロポロ泣くだけで、首すら振らない。



わからない.......



昨日はご飯の後、娘の希望でカラオケまでして気分転換したのだが、
今朝はまた、どんなに声を掛けても、聞いてるんだか、聞いてないんだか
わからないほど寝ている......



人として、こんな生活でいいのかっ!!


って、本当に思うのだが、私のストレスが増すばかり。



中学の時とは違って、もぅ単位が無い。
同じ高校を希望している娘だが、まさか一緒に卒業!?


いや、絶対無いな!!
留年するくらいなら絶対に辞めるであろう。容易に想像が付く。


それはいいんだよ、じゃぁ、辞めてどうするのっ?って話さ。(*´Д`)=з